徳川八代将軍吉宗と桃園

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 江戸時代の中野は、三代将軍家光の頃より鷹狩りのための「お鷹野」でしたが、五代将軍綱吉は「生類憐みの令」を発し、「御囲い」と呼ばれる犬屋敷を中野の地に作りました。その死後、犬小屋は廃止され、時は流れて、八代将軍吉宗は、たびたび鷹狩りに訪れていた中野の地に、桃の木を植えることを奨励し、この地を「桃園」と呼ばせ、いつしか桃の花の名所としてにぎわうようになりました。吉宗の死後は、再び鶉の御猟場としたため、次第に桃の木も減っていきました。昭和の始めにその名残を惜しんで、「桃園町」などと付けた町名も、四十年代には消えてしまいました。(参考資料 なかのものがたり 中野区教育委員会、画像は、中野村桃園春興・江戸名所図会より)



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中野・桃園
桃の宴(桃のマドレーヌ)
白桃のコンポートをカットしていれたマドレーヌを桃の形に焼き上げました。

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