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zoom RSS 昭和30年代の中野・杉並

<<   作成日時 : 2008/06/21 23:33   >>

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 この前、さぎのみや散歩日記さんのブログで紹介していた、「昭和30年代の中野・杉並」という本をつい買ってしまいました。(立ち読みしようと思ったが、ビニールで包まれていて、買わざるを得なかった。)
なかなか興味深い写真が載っていた。妙正寺川が用水路みたいなのには驚いた。当時の地図も載っていて、若宮は当時、鷺宮一丁目だったことは知っていたが、白鷺は当時は鷺宮二丁目だったなど、住居表示の変更時にはかなり混乱したのではないかと思われる。
 また、中野区役所が当時は中野郵便局の辺りにあったことをはじめて知った。
 当ブログでも、昭和30年代らしい写真を何枚か掲載しているのでご覧ください。
 台風の影響で妙正寺川が氾濫し、鷺ノ宮駅が冠水中杉通りも冠水家政銀座商店街の七夕祭り野方消防署鷺宮出張所
 昭和30年代のふじの木はというと・・・。
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 昭和35年のお店の様子。この頃は、パンの製造販売が中心でした。昭和26年に再開した和生菓子の製造販売のほか、洋菓子の製造販売もしていた。洋菓子とはいっても当時は長崎カステラ、ロシアケーキ、シベリアケーキなどというものを売っていたらしい。また、生クリームは、まだ普及しておらず、クリスマスケーキもバタークリームのケーキが中心だったらしい。このほか、森永のチョコレートやキャラメルがよく売れたらしい。
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 当時のパン工場。東京都学校給食委託加工指定工場の看板が。この頃は、学校給食用のパンの製造も行っていて、若宮、大和、鷺宮小学校に納めていたほか、鷺宮高校の購買部でも販売していた。この後、人手不足と大手パンメーカーの進出により、徐々に縮小し、昭和40年頃にパンの製造をやめた。
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 この工場の建物は、昭和54年まであったので、よく憶えている。パンの製造をやめた後は、洋菓子の工場として使っていた。パン屋だった頃の記憶は、まったくない。
 

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